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去来せしもの①

 私の現在の生活では、圧倒的に「去」が多くなっています。
 年齢のせいのこともありますし、そうでないこともあります。
①では、人間世界にします。
 比べるのは、些かおかしいのかも知れませんが、私には、時代が移り替わる象徴になる人が世を去りました。
 世界中が、そのニュースに巻き込まれた、ネルソン・マンデラ氏でした。しかs、蚊の偉大な人物をもってしても理想のの実現は出来ませんでした。政治家の諸氏は自己の喧伝するところと、自己の力量をどう考えているのでしょうかと考えさせる規範となる 評価や論評する様な人間ではないと心得ていますが、「許すことが出来る」大きな心を持った、信念と大きさのある偉人だったと思います。
 日本野球界の偉人、「川上哲治」氏も逝去されました。私が小学生の頃は、赤バットの川上と青バットの大下弘という天才型の現役時代ホームランバッターが人気を博していました。どうやら、高校は大阪に出、大学は東京に行きましたので、甲子園や後楽園でプレイを観ることが出来ました。大和球士氏が命名した「弾丸ライナー」という鋭い打球は少なくなっていましたが、「打撃の神様」として、「球が止まって見える」
という有名な言葉を残す境地に達した打力は健在でした。大下選手、小鶴選手や、世界の王選手の様な、長距離打者ではなかったので、ホームラン王にになるには苦労が有ったろうと思います。
 巨人軍の監督として、チームを率いて九連覇と言う偉業を成し遂げました。長嶋茂雄、王貞治という超一流の選手が全盛期であり、脇役陣もつぶ揃いでした。忘れてはならないのは、高校出の森昌彦捕手を育て上げ、要として据えることにより、まもりの眼での安定性を確立下のも大きいと思います。大リーグのイヴァン・ロドリゲスほどの大選手ではなくとも、連覇を支えた大きな力かと思います。名捕手の居るチームは優勝の確率が高いと思います。
 真摯と言う言葉が、政治家の使用する場合と違い、本来の意にを表すと思える態度で取組み、知的な情熱を尽くした方だと思います。パフォーマンスとかアーティストなそというより、無骨に感じられる位な朴訥な感じでしたが、謙虚で知的な話し方は、90歳を超えた時のインタヴュー番組を拝見した時、つくずくと尊敬のねんを抱きました。
 ドン川上の時代が終り、ミスターの時代になり、松井秀喜選手が去って以来、小学生時代からの巨人軍への関心は冷めてしまいました。私には、丁度良い節目なのかもしれません。
 ちなみに、現在の原辰徳氏は過小評価されているような気も致しますが、巨人軍を含め、ファンの気質も変わり、職人芸などは減り、野球s度のものはそっちのけで、応援することを楽しんでいるし、選手もコメントに比重が掛かっている感がしてなりません。息をのむという、一瞬の静寂という間のある球場の雰囲気が好きでした。所詮は、古い人間の感覚なのでしょう。
 このような偉大な人物でじゃありませんが、私に年齢に達しますと。知己のひとびとが続々と去ってしまいます。仕事関係では、山林出汗を流し守って下さった人々は殆ど居なくなり、町内在住は僅か二名になりました。麻雀卓を囲んだ仲間も殆ど居なくなりました。猫達と散歩をしている川で遊んだ仲間も殆ど今くなりました。増水した川を上流まで行き、泳ぐと言うより、激流を流れ下る事を『ぞれる』と言いましたが、「ぞれに行ってこうらい!」と言って、大人の眼をかすめて嬉々として野蛮な遊びに興じたのが懐かしいです。
 『来』は、非常にまれで貴重な事です。
 我が家では、初凪「雅紬苗」が長男夫婦が授かりました。唸れた時に4kg超でしたが、3か月ではや10kgだそうです。私が電話した時、受話器の向こうで、爺ちゃんだよと言われて、「雅紬苗」と言いますと。割れんばかりの大声で「ぎゃおー!」と返事を返しました。何もかも大物の予感させる子です。
 日中のバイリンガル+英語ていでは軽くこなす、国際的に羽ばたいて呉れるかもしれません。その様子は、別世界でゆっくり楽しみたいと思います。

 

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by nyasu559 | 2014-05-05 19:56 | 雑感 | Comments(0)