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聴導犬

聴導犬
 TVで、「あなたが、ヒロイン」というドキュメンタリーを見ました。#4でしたが、その育成に取り組まれる女性が主人公ですが、実に素晴しい方でした。又それを支えるご主人もしかりでした。しかし、何の気負いもなく、人のお役に立つために、動かれる姿は、有名人・タレントが原発事故に関してTV上で正義の味方として、声え高からかに息巻いている姿に臭み感じる私には、実にすがすがしく、胸が詰まる気持ちで、頭が下がりました。知らない事ながら、これらのことが、猫のボランティア以上に経費を要することが、費用まで工面しながら行われているのだそうです。一頭仕上げるのに250万もかかるそうです。まだ、犬に、負担を掛けないために、10歳で引退させるそうですが、犬と深く気持ちが結びついた人間の方も、別れたくなくて、自分の負担が重くなっても、その犬の負担を軽くして一緒に居られないだろうかと悩む姿、心情もなんともいえないものでした。聴導犬は補聴器ではなく、道具ではないのです。心を通わせながら、一心同体として寄り添って暮らしているのがありありとわかりました。絆という流行語を口にしながら、どこか、作為というか、空々しさを感じるコメントとは、一線を隔する言葉で語られていました。人間すら、金儲けのために使用する道具なみに扱う方々、愛車のほうが、足跡をつける猫より大切な人々、値段で価値が決まるという感覚の人が増えてしまったようで、私のような老敗残者には寂しいです。そして、自転車が鳴らすベルの音を聞き取れない聴覚障害の方がいらっしゃるのは、極自然のことですが、最近の省エネで自転車利用を、立派には違いない(ピストは問題外)けれども、余りにも我が物顔での振る舞い、他人のことには配慮に欠けているのではないかと思えます。このような、素晴しい性格の女性ならば、犬の方も早くその心意を感じて、難しいことをこなせるのではないかと思いました。私は、猫派と言えますが、このような仕事をこなし、人間と寄り添うのは、犬が一枚上だと思います。猫は、別の長所があると思いますから、どちらが上などとは、所詮くだらない論議だと思います。私には、猫のほうに縁が有り続けたし、猫が好きなだけです。
 生き物で、普通のペット以上に生活に密着して暮らしているから、一生より添えないで引退と言う別れを迎える時の気持ちは察するに余りある物でした。これは、人間にとっては、何度か繰り返せねばならない宿命であり、健常者とは異なる、精神的負担があるのだと思いました。生き物と生き物は、人間とか犬とか猫とかの区別無く、心のつながりが出来てしまうので、器械(骨伝導を利用した最新鋭の補聴システム)とは違い、楽しさもありながら、道具・器具を交換するのとは違う苦しみがあると思います。私などは、愛車を手離なして新車を入れる時でも、惜別の念がありました。牛を肥育して、子牛と交換する時も、えさをやったり、時々ブラッシングし、夏は、青草を食べさせに連れ出す程度でも、懐いた親しみのある牛との別れは辛かったです。それとは比べ物にならない、聴導犬の引退という別れは、本当に辛いだろうなと思います。私の様な、呑気な猫との暮らしでも、心置きなく満足に暮らさせられたと思える別れが出来る子は限られています。そのことを考えると、新しい子を迎えるのは、重い気持ちも入ります。
 生き物同士で暮らすことの楽しさと悲しさを感じ考えさせられました。その苦しみとは無縁になる様にと、人間様とその他。人間間でも、選民と道具に過ぎないものと分けててしまう心得が必要な現代なのかもしれません。それを会得して、使い捨て人間を駆使できる人が、偉い人として君臨できるような気がいたします。
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by nyasu559 | 2012-03-05 01:55 | ねこ雑感 | Comments(0)