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捨てる人、拾う人、縁結びの神。

 捨てる人が居たので、花恋も私と暮しています。サビーナとポールの親子もそうです。花恋は、ヴィートさんに捨てられた直後に保護されるという幸運に恵まれて、淋しい、厳しい野良生活をしないで済んだようです。捨てる人は、当然責められる部分があると思いますが、私は、あまり、責めたくはありません。なかには、泣く泣くの人もいるのではないかとおもいます。だた、発泡スチロールの箱に入れ、ガムテープで閉じて、子猫の小さな爪あとが壁面に残っていたとの記事を読むと暗澹となります。それと、野良猫達の親代わりをしたり、沢山保護したりすると、その家の前に捨てに来る人が出てしまいます。えっちゃん宅の子はそんなケースがあります。私の家ではそんなことがありません。サビーナやロビンのように人里からかなり離れた山中に捨てるのと、人のよさに付け込んで、猫好きな家の前に捨てるのは、猫がなんとか、救ってもらえないかと思う心があるからと思いたいです。他人に負担を無断で押し付ける無責任さは困ったものですが、非をなじるだけでなく、別れる辛さもあり、その子の幸せも願っていると思いたいです。或いは、人目に触れやすく、運がよければ良き人に救ってもらえる可能性もあるという公園などに捨てる人。その、良し悪しは一律なのか、罪の軽重があるのか、そしてその程度は、私には判断つきかねる命題と事柄です。ただ、前述の箱詰めは残酷で人間として情けなくなります。花恋を捨てた方にも、花恋はこんなに大きくなりましたと伝えたら、涙を流して喜んでくれるのではないかと思うことにしています。
 昔も、今も、子を捨てた親を憎む場合と捜し求める場合とはドラマなどでも取上げられる題材だと思います。私も、4人の子供を授かりました親として、子供に対する心情はそれなりにありますが、他の人とおなじかどうかは判りません。近所でも、継母でありながら、子供達が全員今時珍しいほどに、睦まじくして親孝行をしているのを見られるので、私も、血が繋がっていなくてもその様に出来ると思っています。相互の心の持ち方だけだと思います。猫の場合は、言語は正確には一致しませんから、目に見えない繋がりを大切にすれば、ある面では、人間同士より信頼し合えるような気がいたします。
 自分で、保健所へ処分を依頼する人は責任を自分で取っているとの考えの方の人も居ます。アメリカ等では、終末期には、安楽死を選ぶのが、苦しめないからとの理由で、比較的受け入れられているようです。そして、人間は、自分の人生観等からその判断基準が異なっていると思います。どれが、正しいかは、判定不能に近いと思っています。あまり、原理主義的な考え方には馴染めない性質なので、生ぬるいかもしれませんが、今時流行の「断固として、毅然たる態度」は苦手で、中庸を得た方が好みです。しかし、かなり偏屈で頑固で昔は腕っ節、向こう意気も強い人間でしたから、「お前は、そうではないだろう」と言われるかも知れません。
 本当に、命に関することは、評判のハーバート大学のサンデル博士の哲学講義を拝聴し、著書をお読みになる方が多いらしいので、多分、世の中は良くなるのでしょう。ただ、私はかなり疑問視しています。頭の中で考えるだけでは、ヴァーチャルの世界の生命体の取り扱いのようになるのではないかと思います。流行を追うというか、今評判のものだからという理由が多いと思います。 
 
 http://ameblo.jp/aki2002/day-20110127.html
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by nyasu559 | 2011-03-06 23:14 | ねこ | Comments(0)