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久し振りに、サビーナが外泊。

 朝の、外出時に連れ帰えら無かったら、サビーナは、夕方や夜の散歩時の呼びかけにも反応せず、久し振りの外泊となりました。サビーナは、健康状態万全ですから、熱中症などを起こして動けなくなっているようなことは無いと思いますが、それでも帰らないと、一抹の不安は拭えません。
 先日、来熊して川遊びと海水浴を楽しんで帰った、甥一家から、「子供達が又行きたい」と言ってるとの電話があり、非常に嬉しかったです。昔のようにはいかなくても、自然の中で、それを味わう事に喜びを感じられる、感性の持ち主の子供達が居てくれるのは嬉しい事です。あまり、明るく勇気付けられる事柄の少ない昨近ですが、未来を背負う子供達が、楽しく過す様子を見られるのは楽しいです。
 暗いほうになりますが、暑くなると、一番気になる明石市に電話をしました。そちらの方は、まずまずの様子でした。しかしながら、ブリーダー業務関連の法律が、改正を要する事がかなりありそうなことをお聞きしました。犬・猫には限りませんが、命あるものを売買することには、それなりの、規制が必要かと思います。どんな業界でも利益優先に走る方が居ますし、良心的な方もいらっしゃると思います。その線引きは難しい事だとは思いますが、業種によっては、より厳格に利益優先による弊害を防いで欲しいと思います。命に関連する、医療、看護や繁殖販売行為は、弊害が起きたときは悲惨な事だと思います。ブリーダーの方でも細心の注意を払い、プロとしての技量も持ち合わせて行動されている方も多いかと思います。しかしながら、パピーミルと称されるようなのが存在していることも事実だと思います。血統書つきのペットと楽しく暮らしている方のブログも拝見しますし、稀には、新種として固定できた事が認定されたニュースに触れて、魅力を感じさせられる事もあります。しかし、基本的には、人間に不都合な習性等を削りとってしまっているような気がいたします。雑種交配が進み、野良でも、純粋の三毛ではなく、縞三毛が増えてしまっているような事は寂しいと思います。けれど、野良と捨て猫以外の出自の子は、小学生時代の二匹しか居ないので、時たま、先祖返りと思われるような、狩の名手に(親に教えられたのではなく、先天的才能の持ち主)に出会うと、遺伝子が様々に交じり、これぞ猫と思わせられるとなんとなく嬉しくなります。同腹の兄弟姉妹でも、その才能は、雲泥の差が有ります。
子育てでも、非常に差が有り、本当に懸命にそして楽しみながら子猫を育てる母猫を見ると、どの子にも、一度は味あわせてあげたいと思いますが、家猫としては、4匹にしか、その機会を与えられませんでした。自慢の子猫達を引き連れて誇らしげに闊歩し、満足そうに授乳する母猫の姿は、ほれぼれとしますが、もう、私には、見ることは出来ません。それでも、見る事を経験できただけ幸せでした。花恋が子育てをしたら、どんな母親振りを見せただろかと思うことがあります。多分、かいがいしく、しかし、結構厳しく躾をしたのではないかと思います。そして、自分で外出させても大丈夫と判断したら、ゾロゾロと一緒に散歩に連れて行けと言ったでしょう。散らばって行きそうな子達を監督し叱りながら、私にしっかり手伝えと言ったと思います。年甲斐も無く、A・ル・グウィンの「空飛び猫」の世界に誘われるタチなので、夢想の世界にはまり込みます。残念ながら、父猫の姿を見ていません。以前に、ジャックという、超長シッポの持ち主で、静かで思慮深い雄猫にお嫁さんを迎えてあげようと思っていましたが、バルボで亡くしてしまいました。ピーターとポールが来た時は、私共が歳を取りすぎて、子猫を最後まで見る自信がなくて、去勢してしまいました。ポールは素晴らしい猫だから、いい父親振りを発揮したのではないかと思えて、残念な気がしていますが、出来ない事と諦めています。これも、私(人間)の都合で行っていますので、他人の事は批判できないかもしれませんが、以前、偶然公園で出会ったご夫婦が、アメショを連れてきていたので、いい猫ですねと声を掛けましたら、この子は、売り物にならない畸形(足の指が一つ欠落している)だから、タダで貰い受けてきたとの事でした。この子は優しいご夫婦の目に留まる幸運に恵まれましたが、畸形児は、近親交配が多い関係上ある程度の確率では生まれるそうですが、処分と言う名でその生涯を終らされる事が多いそうです。考えたくない事ですが、現実にはかなり起きているようです。また、素人の安易なブリーダーによる崩壊事件のレスキュー事例が時々ネットに登場して痛ましさに目を覆いたくなることも屡目にいたします。何事も、法による解決に頼ることは、危険でもあり、法の抜け道を見つけて、法を守っているからと嘯く人が大手を振っていたり、法を、自分達に都合の良いように改正して利用することも横行しますので、よろしくないと思いますが、現代では止むを得ない事のようです。
 この世を去る時に、満足感を持って旅立てるパーセンティジのほどは、人間では、猫では、と考える事は屡有ります。ネットに関わりだしてからは、訃報に接する機会が増え、その中には、今度生まれる時には、神様に御配慮してもらえますようにと思うことが多々あります。殆ど、幸せな時間がなっかたと思われる幼子もあれば、幸せな時期も有ったであろう飼い猫から野良生活になって終った場合もあり、飼猫でも病気も事故もあり様々、夫々の定めに従ってに去ってゆきます。30匹にも及ぶ相棒猫達との別れを経験してきましたが、心残りなく送ってやれたケースの方が少ないです。姿を隠されて、看取ることが出来なっかた子も多いです。事故等は殆ど考えられない上京の場合もあり、姿を隠して、最期を迎えることを選ぶ子が居るのは事実だと思います。私も、今の居る子達との共生が終れば、あまり時間を置かないで会いに行ければよいと思っています。高齢者の数少ない特権は、先に行く子に直に再会できると思えることかと思えます。永遠の別れではなく、しばしの別れと思えば良いからです。花恋を送る時は、「じきに、父ちゃんもゆくからな!」と言えるかなと思います。旅立ちには、あまり不安を感じた事はありませんが、その時を迎えたときは、多くの猫達に負けないように毅然として旅立ちを迎えたいと思います。再会のことを思えば、少しワクワクするかもしれないかもしれません。本当に会いたい、人々と猫達が、私の記憶の中では息付いています。しかし、まだ、早く来いとは呼びには来ないです。待ってくれているだろうが、今いる、世界における責任を果たし終えていないから迎えに来ないと言う事だと解釈しています。息子達もいますが、彼等は夫々の人生を歩む事だし、もう、私を頼ることはありません。

 
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by nyasu559 | 2010-07-25 23:39 | ねこ | Comments(0)